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国際研修旅行
チェコ・オーストリア Czech&Austria

◆5月16日(日) チェコ くもり時々雨→晴れ
バスの車窓から
バスの車窓から


広い草原が続く・リディツェ村
広い草原が続く・リディツェ村


資料館・犠牲者の写真
資料館・犠牲者の写真


バラの花を持ち進む
バラの花を持ち進む


悲劇の証言
悲劇の証言


子供たちとバラ線
子供たちとバラ線


バラの花を供える
バラの花を供える


青空の下に広がるリディッエ村
青空の下に広がるリディッエ村


共同墓地にて バラの花を供える
共同墓地にて バラの花を供える


共同墓地
共同墓地


村で唯一残った建造物
村で唯一残った建造物


彼らの見ている先に平和はあるのだろうか?世界では今もなお戦争は続く。
彼らの見ている先に平和はあるのだろうか?世界では今もなお戦争は続く。


ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)
ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)


監房
監房


独房 独房

独房の中にて
独房の中にて


シラミ駆除室
シラミ駆除室


処刑場 ここで死刑執行が行われた。 処刑場 ここで死刑執行が行われた。

堀の前で咲いている
堀の前で咲いている
◆リディツェ村へ
  今回の研修旅行の目玉というべき日である。きょうは、リディツェ村とテレジン小要塞である。9時にロビーに集合。弁当が配られる。なんと弁当には炭酸入りミネラルウォーター1.5リットルが付いているのだ。このダイナミックさはなんとも言えない。バスへ乗り込み出発。最初の目的地はリディツェ村である。郊外へとバスは進む。バスの車窓からは日本とは比べ物にならないほどスケールの大きい菜の花畑が見える。
◆消し去られた村、リディツェ村
リディツェ村はナチスによって消し去られた村である。教科書にも掲載されるほどの有名な村だ。1941年ごろからチェコ地方の副総督に任命されたハイドリッヒ(ナチス高官)が差別を強く行っていた。チェコの国土をナチス・ドイツに奪われ、外国で結成されていたチェコ軍が特別に要請した兵士をハイドリッヒ暗殺のために送り込んだ。1942年5月27日ついにハイドリッヒは暗殺される。6月9日リディツェにドイツ軍が来た......そして今日まで知られる「リディツェ村の惨劇」が起きたのだ。なぜ、リディッエかといえば、無関係な手紙(いわゆる恋文)の内容から勝手な解釈で消し去られたのだ。
◆リディツェ村到着
リディツェ村へ着いてバスから降りる。そこは静かなただ広い草原が広がっている。ここがリディツェ村か。我々は資料館へと向かった。そこでリディツェ村の惨劇の背景についての映画を見た。資料館内では日本語の説明テープが放送された。
◆リディツェ村・悲劇の証言
バラの花を1人1本受け取り「子供たちの象」の前へ行った。そこでリディツェ村で生き残った数少ない子どもであったフヴァーロヴァー(CHVA'LOVA')さんが当時のことを振り返る。フヴァーロヴァーさんはリディツェ村の子供たちの中でドイツ家庭へ送り込まれた9人のうちの1人だ。1942年当時8歳だったという。フヴァーロヴァーさんはドイツ家庭へ送り込まれていたので村が破壊されたのは知らなかったという。ドイツへ送り込まれた9人以外の子供たち88人は全員ガスで殺された。子供たちをどこかへ連れていってあげるとしてバスへ乗せて排気管を車内へ引き込み一酸化炭素中毒で殺害したという。82人の子ども達の象がある。当時のリディツェ村の子供たちの写真は残っていない。なので、象の子供たちはリディツェ村の子だけでなく当時戦争で亡くなった子供たちということで作られたのだという。子ども達の象の横にある有刺鉄線(バラ線)のようなものは収容所などのイメージで作られたとのこと。聖徳生の女子が献花し全員で黙とうをした。
◆リディツェ村・共同墓地へ
その後、リディツェ村の男達の共同墓地へ向かった。ここにはリディツェ村で銃殺された173名の男たちの共同墓地である。そこで、聖徳生の男子が献花その後黙とうし、「さとうきび畑」の斉唱を行った。
◆テレジン小要塞へ
我々はバスへ戻り次の目的地テレジン小要塞へと出発した。テレジン小要塞へと到着した。オレンジ色の門が見える。近づいていくと墓標が見える。あたり一面に墓標が広がっている。資料によれば、1945年から1958年にかけて徐々に出来上がった国民墓地である。 小要塞、テレジン ゲットー、リトメジツェ収容所の犠牲者約1万人が埋葬されているという。そのうち2,386は単独墓だという。と、いうことは2,386の墓標があるということだろう。国民墓地を抜けて“堀”にかかる橋となっている入り口にくる。堀は大変深い。今は野原のようになっている。中へ入る。各国語版のリーフレットが置かれている。日本語版もある。さきほどの資料とはこのリーフレットのことだ。
◆ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)
我々は生きては帰れない門をくぐる。門にはこう書かれている。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になれる)」いったいどれだけの人がこのことば信じくぐったのだろうか。続いて、監房へ。一歩足を踏み入れる。そこには重い空気が漂ってる。ここで多くの人が死んでいった。そういうところである。ここには100人以上の人が押し込まれていたこともあったという。写真を撮る。他の人はストロボをどんどん発光させて撮っている。しかし、ストロボなど発光させたらこの重い空気は少しも伝わらない。少しでも写真を見た人にこの空気が感じ取れるようにしなければ。そう考え、カメラをISO1600相当にセットし壁に押し付けてシャッターを切る。それで撮影したのがこのページの写真である。人がうっすら映ったりしているがけして心霊写真ではない。かつてここを訪れた人が撮った写真に霊が映っていたと騒いだ人がいたがそんなことはない。心霊写真というものはない。
独房
次に行った部屋は独房である。ここは尋問中の人が入れられた。独房でないと他の人に話す可能性があるからだという。独房の一つに入ってみた。外側から扉を閉めてもらう。真っ暗の中にただ一つの窓。とこから入ってくる光。この光を独房に入れられていた人はどういう気持ちで見ていたのであろうか。扉を開けてもらい外へ出る。一番奥の一番独房にはサラエボ事件の被疑者が入れられていたという。ここだけ照明がついている。
◆浴室とシラミ駆除室
次は浴室とシラミ駆除室。ここは明るいのだかなんとも言いづらいイメージである。シラミ駆除室はガス室を思わせる。ここに衣類を入れてシラミ駆除を行ったという。しかし、この小要塞ではチフスなど伝染病がまん延したという。衛生面でも最悪である。洗面所。ここは一度も使用されぬまま現在に至るという変わった部屋である。1944年に完成したこの部屋はこの小要塞が衛生状態に配慮している。ということを外部に見せるために作られた。つまり査察対策の部屋なのである。当時のまま水道の蛇口が残っているという珍しいところである。
脱走できた人
この小要塞から3人だけ脱走できた人がいる。その人たちは捕まってしまい処刑されたのだがその人たちが利用したのが写真の場所である。看守が酔ったすきに壁をつたって逃げた。写真の手前を見ると分かるのだが一部だけ崩してある。3人が脱走した後再び脱走者が出ないように崩したのだという。続いて500メートルにもおよぶ地下道。心理的に耐えられないという人は外側から回ったものの我々は地下道を進んだ。ここは戦争中には使用されなかったが処刑場に通じているのだ。ところどころ外部が見える窓がある。窓の外には青々とした葉が見える。
処刑場
処刑場に出た。ここで死刑執行が始まったのは1943年のことである。約250人の人々が銃殺された。平和式典が行われた関係で花が供えられている。最大の処刑は1945年の5月2日に行われた52人の処刑である。解放の日が近くこの小要塞の残虐さの口封じのために処刑されたという。大部分はレジスタンス(今日ではイラクで盛んだが)組織のメンバーだったという。絞首台もあるが3人の処刑にのみ用いられた。処刑場より丘を越えたところにプールがある。ここは防火用水地という名目で作られたが看守の家族の水浴場として利用された。このプールの建設にともない多くの人が虐待された。このあたりには看守の居住区。処刑場の銃殺の音が聞こえていたはずだ。看守の家族は銃殺の音に対してどういう感情を抱いていたのだろうか。看守向けの映画館もある。今はテレジンに関する記録映画が上映されているとのこと。中庭。見張り台には機関銃が備え付けられていたという。今は青空の下静かな時が流れている。これで見学は終了。
堀に咲く花
外へ出るときに堀の前で咲いている花が目に付いた。かつての残虐な行為とは対称的に美しく咲く花。心に深くこの情景が刻み込まれた。今日でもなお戦争は続く。イラクではアメリカが侵略戦争を起こし、イラクの人民を虐待、虐殺している。この小要塞はかつての人類の戦争の誤りを二度と繰り返さないために保存されているのではないだろうか。ホテルへ戻った。夕食はバイキング形式。

5月12日 13日 14日  15日 16日 17,18日
 -チェコ・オーストリアコース-

編集部/
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