3月。高校3年生。〜思い出の学び舎〜
中学・高校を卒業された学生のみなさん、卒業おめでとうございます この学校で過ごした学生生活は、とても意味があると・・・24年経っても宝物の一つになっています。
中学3年のときに父の仕事の都合で、未知の世界(ちょっと大げさかもしれないが)、東京へやってきた。熊本はどこ?九州圏のひとつ、熊が出る町と言われたほどの遠い時代。
校舎の中にも不思議な空間があった。 体育館に行く道ともう一つ裏道があった。そこの階段を二、三段抜けると部室につながっていた。部室から小さなドアを抜けると裏通りに出ていたが・・・。3年間在籍していると、その道順を覚えられるようになっていた。
別空間なのだが・・・今もあるのだろうか。らせん状の階段を昇りつめた最後に、生徒会長室と新聞部の部室があった。 新聞部の部室にはなんでもあった。
ロッカーも友人のOさんがコンビーフのカギで改良したカギが付いて、開け閉めしていた。ガリバン刷りの原版があって、新聞が出来あがると輪転機が『カタンカタン!』と回り始めた。夜遅くまで、新聞づくりに追われ、そこでカップめんを食べたりお菓子を食べたり、授業をサボったりすると誰かいたりしたっけ・・・。
ちょっと不思議な空間を私は好きだった。 こんなことバラしても大丈夫かな。今はもうその部室はなくなっているかも知れない。
体育の授業で持久走があり、学校の校舎から出て左折してぐるりと一周するコース。
今、イトーヨーカドーの駐車場になっている場所は一面が畑で、なにが作られているかは殆ど記憶がない。しかし、農家のおじさんやおばさんと出会えば、授業中と言っても、走りながら挨拶を交わした記憶はかすかに残っている。
ある意味、のどかな感じがする。
私は、九州東海大学農学部畜産学科に推薦入学という形で受験した。
面接と小論文が推薦入試の定番だった。 職員室で、小論文の特訓をした。
新聞部の顧問であった日本史担当の中山正美先生に懇切丁寧にご指導を受け、無事に大学に合格した。 いま、学校の周りの風景はどうなっているのか。一度、伺いたいですね。
▼コラム 心地いいハート 一覧
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