@修学旅行@
今は、研修旅行というのか。 私が在学中のときは、国内旅行が主流だ。
今は海外旅行が当たり前らしい。 クラスの人数も半端じゃなかった。
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1クラス49〜50人くらいの生徒数。たぶん、前半/後半で分かれて出かけたと思う。6クラスあったから・・・記憶はすっかり消えている。
ちょっと、旅のしおりが不鮮明なのだが・・・。 昭和55年度 関東高校修学旅行とある。『しおり』は手作りで各クラスから担当の生徒の手作りだ。
1日目
東京駅:新幹線(ひかり12号)→小倉(にちりん11号)→別府(BUS) 城島高原
2日目
城島高原(BUS)→別府地獄めぐり(BUS)→アフリカンサファリー [やまなみハイウェイ]→瀬の本高原(BUS)→阿蘇山頂(BUS)→
草千里(BUS)→内の牧温泉 |
3日目
内の牧温泉(BUS)→水前寺公園(BUS)→熊本城(BUS)[天草五橋]会津松島(SHIP)→島原港(BUS)→島原城跡(BUS)島原温泉
4日目
島原温泉(BUS)[長崎バイパス]→長崎市見学(自由行動)→(BUS) 西海橋[磁州窯](BUS)→武雄温泉
5日目
武雄温泉(BUS)→大宰府(BUS)→博多;新幹線(ひかり76号)→ 東京
思い出・・・なにを思い出すだろうか。
別府では、お猿さんの山:高崎山では「サルと目を合わせるな!」という注意があった。しかし、おサルは容赦なく、団体の私たちの生徒にちょっかいをかけてくる。
当時は、今ほどスカートが短いわけではなく、長いのが流行で、お猿さんにスカートを引っ張られていた人もいたっけ。
龍巻地獄の温水に感動したり、赤池地獄に鼻を抑えて素通りしたりと。地獄めぐりに隣接する施設に『ワニ』が・・・怖かった。
草千里・・・今でも時々、行く場所。
だったぴろい草原地帯だ、爽快感がある。足が図太い馬が人を乗せて、草原をゆっくり闊歩していく(有料)
そんなのには、目もくれず学生の私たちはひたすら自分の足で闊歩だ。
「ここまで来て、どうして歩かなきゃなんないわけ、かったるい・・・」とぶつぶつ言いながら歩いた。今・・・歩くと年を感じる。歩いているときに妙に無口になっている私がそこにいた。
宿泊の内の牧温泉・・・たしか、『阿蘇観光ホテル』という名前だった。今は時代の流れで閉鎖された。
昭和天皇が宿泊されたお宿と、添乗員が連呼していた。でも、ぴんと来なくて、とても失礼だと思ったが「だから・・・なに?」状態。がやがやと食事をして、ばたばたと温泉に入って、寝る。情緒なんか、いつ味わえる?みたいな感じだ。
さて、翌日は私にとっては、2年ぶりの熊本に帰ったという感じかな。
熊本城でクラスメートが天守閣に昇っている頃、私は中学時代の旧友と会っていた。 熊本城は『黒い城』。 クリスマスの季節にもなるとライトアップされて、きれいだ。
一度は、訪れるのもいいかもしれない。今は、昨年の台風の影響で場内の建物が破損し、 修復作業が行われている。
それとこれは、たぶん、だれでも一度はやりたいと衝動にかられるものがある。城壁をよじ登る。武者返しと言って、元来、サムライの時代から登れないようなっている。登っても降りることが困難となっている。先人の知恵。
天草から島原まで、フェリーに乗った。
4日目、長崎市見学、班ごとに自由行動をしたっけ。自由はいいけど、後日、学校に戻ったらレポートを書くといういわくつきだ。やっぱり、そう、楽しんではいられない。本分は学生なのだから・・・。
5日目、大宰府。学問の神様の天満宮と言うのは知っていたが・・・。バスガイドが付け加えたガイドは、「大宰府には嫌いな人と出かけてください。朱塗りの橋があって、過去、
現在、未来となっています。反対側から渡るとカップルは別れます」と。それを聞いて以来、現在も私は誰とも一緒に大宰府には出かけていない・・・。
長々と思い起こして綴ってみました。
あ!そうそう!旅につき物のうたぼん、時代を反映しているのか、紹介しておきましょう。今の在校生の学生さんがご存知かはあえて聞かずにいよう。
宇宙戦艦ヤマト(ささきいさお)
君の朝(岸田 智史)
大都会(クリスタルキング)
SACHIKO(ばんばひろふみ)
よせばいいのに(敏いとうとハッピー&ブルー)
卒業写真(荒井由実)
翼を下さい(赤い風船)
空よ(トワ・エ・モア)
なごり雪(イルカ)
心の旅(TULIP)
神田川(かぐや姫)
WAKE−UP(財津和夫)
22歳の別れ(かぐや姫)
遠くで汽笛を聞きながら(Alice)
いとしのエリー (サザンオールスターズ)
大阪で生まれた女(BORO)
TOKIO(沢田研二)
異邦人(久保田早紀)
[続く]
▼コラム 心地いいハート 一覧
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